2006年07月18日

明恵上人

 文覚上人の弟子、明恵上人(正確には孫弟子)の伝記漫画を読んだのですが、文覚上人については触れられず。
 春日明神からの神託や、高山寺開山のエピソードに重点が置かれていたせいでしょうか。
 文覚について書かれたものは多いですが、気軽に読める漫画のようなものはあまりないので、期待しただけに残念です。

 とはいえ、神護寺内でのシーンは多いので、文覚の存在を意識しながら読むと、それはそれでまた別の楽しみも感じられますね。
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posted by 戀塚寺 at 10:24| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
明恵上人の伝記漫画についてはまだ未見ですが、「明恵上人行状記」や「明恵上人伝記」にはわずかですが、文覚上人のことが登場します。文覚上人は神護寺や東寺経営において辣腕を振るった寺院再興者ですが、明恵上人も文覚上人に多大な影響を受けたことは間違いなさそうです。有名な「明恵上人夢の記」には上覚(文覚上人の直属の弟子で明恵上人の叔父にあたる)上人か、あるいは文覚上人かもわかりませんが、東寺の修理のために明恵上人が播州にともに下向したことをほのめかす記事がありますが、文覚上人は明恵上人を他の弟子に比べ特に寵愛していたようですよ。
Posted by nami at 2006年07月26日 01:42
 もうひとつ、明恵上人が師文覚上人について回想したことは、当然あったのでしょうが、「風雅和歌集」の巻17雑歌に「文覚上人遠忌の日読み侍りける」として「九めぐり春はむかしにかはりきて面影かすむけふの夕暮れ」という歌を詠んでいます。明恵上人の実作かどうかは、和歌集の成立の時代が少しくだるので定かではないですが、文覚上人が元久2年対馬配流後、九州の地で没し、神護寺の裏山に葬され、年忌が行われてきたことは「神護寺文書」などに記されていますので、この日、文覚上人の9回忌を迎えて幼少の頃よりの師への懐旧の思いに、しばし耽ったことがあったのかもしれませんね。ちなみに神護寺では7月21日が文覚忌日となってます。
Posted by nami at 2006年08月03日 13:28
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